二つのミサ曲
 - モーツァルトのKV139・シューベルトのD950 2014年2月

 現在、所属するアマチュア混声合唱団「横浜シティ合唱団」では、W.A.モーツァルト「ミサ・ソレムニス」(孤児院ミサ)ハ短調 KV139(47a)、F.シューベルト「ミサ曲 第6番」変ホ長調 D950の2曲を練習している。  2曲を比較しながら紹介してみる。  2曲は、どちらも大ミサ曲で構成が共通し、したがって歌詞も基本的に同じだ。また、早逝した天才の作曲という共通項がある。  しかしながら、作曲年は、モーツアルトが1768年、シューベルトは1828年である。60年という間隔は思うより短いのだが、時代は古典派からロマン派に移り、作曲様式や作曲意識が大きく変化している。  もう一つ異なっているのは、生涯の中での作曲時期だ。  モーツァルトは16曲のミサ曲を書いており、KV139は6番目とされたが、研究の結果、KV47aと改訂され、1番目、12歳当時の作品と改められた。一方のシューベルトはドイツ・ミサ曲も含めて7曲を書き、D950は、最晩年、31歳で亡くなる年に書かれた最後のミサ曲だ。少年期の作品と最晩年の作品という点で、対照的である。  モーツァルトについては、12歳の作曲ということを意識せざるをえないのだが、12歳とは信じがたいという評がもっぱらで、実際、曲の完成度はとても高いと感じる。KV番号が当初139とされ、16歳の時の作曲とされたのもそのためだろう。まさに天才モーツァルトだが、これ以前の曲と比べても、大きく進歩した曲とされている。  孤児院ミサといわれるのは、当時ウィーンに新しく建設された孤児院教会の献堂式のために依頼されて作曲されたことからきているようだが、12歳で依頼されるというのもまた尋常ではない。  ミサ曲はラテン語で書かれた歌曲であり、作曲家としては、歌詞の意味を踏まえて曲の表情をつけることは無論だが、各単語のアクセントが音の強拍弱拍、高低、音価に関係するので、これを常に意識しなくてはならないだろう。仮に、旋律が先にあって歌詞を無理に乗せれば、ぎくしゃくと不自然で歌いにくい歌曲になってしまう。モーツァルトは12歳にしてこの点も抜かりない。しっかりラテン語を自分のものにしていると感じる。  作曲技法について私は知識を持たないが、当時のミサ曲の作曲様式をよく理解してそれに則るとともに、独創も見られ、しっかりとこの時代の先端の作曲になっていると言われている。  12歳という年齢を感じるとすれば、音楽の軽やかさだ。自分の前に世界が開かれていると疑わず、素直に真っ直ぐ進む。屈託のない子どもの若い心が曲の背景にあると感じる。モーツァルトの音楽は、その後の音楽に若々しい心がずっと続いていて特徴になっているが、この曲はその出発点であると思う。12歳ならではの溌剌とした軽やかさを、年齢を超えて成熟した技法により音楽として定着させていると思うのだ。  シューベルトは、長く不治の病に苦しみ、この曲を作曲した最晩年は迫りくる死を意識していたと思う。それ以前、D番号で700番台の未完成交響曲、800番台のロザムンデ、死と乙女、ト長調の弦楽四重奏曲などからして、シューベルトの曲は、心に迫る凄さ、怖さがある。陽だまりの暖かさが一転して黒い雲に暗くおおわれるように、長調、短調を何度も行き来する。死を意識する人の絶望、焦燥、寂寥、不安が感じられる。900番台の大交響曲、弦楽五重奏曲、三つのピアノソナタ、冬の旅と白鳥の歌の歌曲集となると、心がえぐられる凄みが根底にある。極めて個人的、内面的であることが、現代の私達にも届いて心を揺する共振が生じる。私がシューベルトに惹きつけられる所以だ。  このD950は、ミサ曲という様式であるために、主観や感情の直接的な表現は抑えられているように感じる。それでも最晩年の作曲であることから、ついつい自分の死を意識しての作曲というロマン的な解釈をしてしまう。  モーツァルトの時代には典礼のための音楽であったミサ曲が、ロマン派の時代には典礼のためという枠を超えて自己表現の要素の入った音楽になっていったので、そうした解釈の余地が生じる。しかしながら、これは「ミサ曲」であって「死者のためのミサ曲」(レクイエム)ではない。自分の死の追悼の音楽を用意した、とまで考えるのは行き過ぎだろう。  曲ごとに比較してみよう。  第1曲の Kyrie は、モーツァルトの方が Adagio でおごそかに始まる。曲全体からみると重々しい出だしだが、10小節ほどであり、すぐにモーツァルトらしい軽やかさに転じて展開していく。  シューベルトの出だしはさり気ない。序奏からの機織りのような弦低音のリズムがのんびりした印象だ。この人に時々あるが、無造作という感じもしてしまう。モーツァルトもだが、シューベルトは早書きの人で、どんどん曲想が湧いて、ここは推敲を繰り返すことがなかったのか。静止していたものが動き出すように始まる第1曲だ。  第2曲の Gloria は、モーツァルトでは Allegro にはじまり、Andante、Adagio、Vivace、またAndante、・・・と速度が交互に変わり、調性、拍子も変わって場面を変化させながらフーガに入っていく。  シューベルトも出だしは、同音の「ターン・タ・ターー」で Allegro フォルテという点、よく似ている。定型の様式があるのか。歌詞が Glo-ri-a で、Glo にアクセントがあるので音価が長くなり、似てしまうのか。この曲から臨時記号で調を変え、曲の表情を微妙に変化させるシューベルトらしさが強く出てくる。最初の主題を2度再現して、フーガに入る。このフーガも、所々にある半音の進行に注意しなくてはならない。この曲を歌う難しさだ。  第3曲の Credo は曲全体の中心だ。長さも Gloria とともに長い。  モーツァルトの出だしはバスが主旋律だが、グレゴリア聖歌のクレド第1番からの定型の旋律のようだ。速い合唱とゆっくりのソロが交互に進み、長いフーガになり、アーメンで終息する。途中、合唱の cujus regni non erit finis ((イエスの)王国には終わりが無い)の部分で、non が7回繰り返され、ユーモラスなアクセントになっている。謹厳な曲の中で、少年モーツァルトがいたずらっぽく笑っている感じがする箇所だ。  シューベルトは、Moderato で静かに入る。美しい旋律だが、合唱の集中が途切れるとダレた音楽になってしまう。その後のテノール二人のソロ、あとでソプラノソロも加わるが、旋律がとりわけ美しい聞かせ所だ。直後の合唱 Crucifixus の部分は、厳しい表情の旋律で ppp と fff が出てくる山場になっている。半音で進行し音がぶつかっていく。特に、テノールは二手に分かれ、長2度でぶつかり続け、シューベルトに恨み言を言いたくなるだろう箇所だ。そういうソロと合唱がもう一度繰り返され、こちらも長いフーガに入っていく。そこでも半音の進行が各所にあり、正確な音程が要求される。  第4曲の Sanctus も、Adagio で「ターーーン・タ」と二人の作曲家はよく似た出だしにしている。歌詞 San-ctus の San にアクセントがあるためか。定型があるのか。  モーツァルトは、軽やかな三拍子に一度変えて、2分の2拍子の短い Hosanna で締める。  シューベルトは、16分音符で細かく上下する旋律で進め、Osanna をフーガにしている。例によって、半音の進行で合唱を困らせて終わる。  第5曲は Benedictus。おだやかな Andante で、短めのソロと合唱が交互進行という形は、共通している。  モーツァルトは、ソロと合唱は短い掛け合いのあと、上記の Hosannaに戻って終わる。  シューベルトは、もう少しソロと合唱の旋律が長い掛け合いである。こちらも Osannaのフーガを繰り返して終わる。  終曲の Agnus Dei。 モーツァルトは Andante でテノールソロに柔らかな旋律を歌わせて、バスパートが主旋律の合唱に入る。続く Dona nobis は、4分の3拍子の Allegro で軽やかだ。出だしは単純なドミソの和音なのだが、これが効いて至福感をもたらしており、世の罪を取り除き、私達に平安を授ける存在への賛歌になっている。最後は、特に盛り上げず、引っぱらずで、終止も軽快である。  シューベルトは、合唱バスパートの重く厳しい旋律で始まり、キリストを讃え祈りつつも、絶望に近い不安とほのかな希望が交錯するようだ。Dona nobis の出だしは、やはりドミソの和音。落ち着いた2分の2拍子で和音が続き、安らぎ、幸福感になる。「平安をお与えください」の祈りだが、既に与えられた平安にあって感謝しているかのようだ。作曲者も安らいでいるように思う。  二つのミサ曲は、平行調で、共通する構成を持ち、改めて比較すると音型も類似の箇所がある。似る部分を持ちつつ、モーツァルトはおそれを持たないかのような若い軽やかさ、シューベルトは複雑に内向する厳しさ、それぞれの作曲家らしい曲である。  歌う側からは、どちらも合唱曲として美しい旋律、和声が随所にあり、歌う喜びのある良い曲である。