2013年 三つの声楽演奏会
 - 谷垣千沙(S)・藤井雄介(T)・清水 梢(S) 2014年2月

 Ces-durが所属する合唱団を指導している/指導していただいた三人の方の演奏会が、2013年に順次開かれた。三つの演奏会は、それぞれよく力が発揮され、個性が反映されていて印象深いものだった。  初めにあったのは、谷垣千沙さん(ソプラノ)の「第1回 博士リサイタル」で、4月2日(火) 東京藝術大学第1ホール。ピアノは吉武 優さん。藝大では大学院生は年に1度リサイタルを開く決まりで、博士課程で開く第1回ということのようだ。藝大構内に入るのは初めてなので、興味しんしん。会場は、体育室に椅子を並べたような実際的な所だった。  プログラムは、W.A.モーツァルト「すみれ」、F.シューベルト「四つのカンツォーネ」より第2・第4曲、「至福」「春の小川のほとりで」「恋人をそばに」。休憩後、F.シューベルト ゲーテ『ファウスト』より「糸を紡ぐグレートヒェン」「グレートヒェンの祈り」「ファウストの一場面」、A.ツェムリンスキー「トスカーナ地方の民謡によるワルツの歌0p.6」。  プログラムの中心の「糸を紡ぐグレートヒェン」が特に印象に残った。愛するファウストに会えなくなったグレートヒェンの悲嘆の独白が、速まったり遅くなったりしながら反復する紡ぎ車のリズムにのって歌われる曲。谷垣さんの歌唱は、人の心をえぐるシューベルトの凄さをよく出していた。私は、胸に迫り、ちょっとじんと来てしまった。  このリサイタルの直後から、谷垣さんはドイツに留学している。若い、素晴らしい才能で、これから活躍していく人だろう。そのキャリアの初期の一場面に立ち会った、そんな感じを持った演奏会だった。  次は、藤井雄介さん(テノール)の「藤井雄介 リサイタル in 横浜」。9月1日(日)横浜みなとみらいホール。藤井さんは、ソリストや声楽メンバーとして国内外の多数の公演や録音に参加し活躍している。今回は、自主公演のソロリサイタルである。ピアノは羽賀美歩さん。  曲目は、R.アーン「ぼくの詩に翼があったなら」にはじまり、G.B.ファゾーロ「お前の想いを変えよ」、R.シュトラウス「あした!」「愛を抱いて」、山田耕筰「かやの木山の」「鐘が鳴ります」ほか。  藤井さんは、はじめ少し硬さがあったように思うが、次第に客席との気持ちの交流ができてくるとともにリラックスした感じで、R.シュトラウスは心をゆさぶる歌になった。歌詞の翻訳を自分でしていて、どの曲もよく歌いこんでいることが感じられる深い表現だった。藤井さんは元々とても良い声のテノールであるが、声を聴かせるばかりの歌でなく、表現に結びつき、感動が残る演奏会だった。  この国ではテレビが大きな影響力を持ち、テレビに何度も出てテレビタレント化しないと一般には知られない。クラシックの歌手も、そうした環境の中で位置づけられてしまう。何ともしようがないのだが、藤井さんのような実力ある歌手が、力に見合って認められると良い、と切に思う。  三つめは、清水 梢さん(ソプラノ)のクラシック・ライブで、11月1日(金)横浜の関内にあるバー・リキュール・アンサンブルで開かれた。清水さんは、オペラや宗教曲のソリストや声楽メンバーとして活躍している若手ソプラノ。藤井さんとは、バッハ・コレギウム・ジャパンのメンバーとしてご一緒だ。  今回は、一般的なリサイタルではなく、小さな会場でお酒を飲みながらの肩がこらない演奏会、というか、ジャズクラブのライブの感じ。会場のバー・リキュール・アンサンブルのマスターがクラシックの人で、時々こうしたクラシック・ライブを開催しているそうだ。  ピアノは砂本典子さん。純クラシック畑でなく、バークリー音楽院でジャズを学び、ミュージカルの伴奏など幅広い人だ。  第1部はクラシック歌曲、第2部はオペラ・アリア、第3部はポピュラー・ソングという構成。清水さんが専門とするイタリア歌曲、オペラ・アリアがあった。ポピュラーはディズニーソングやオーバー・ザ・レインボーがあった。乾杯の歌を来場していた清水さんの先輩テノール歌手の方に即興で歌ってもらった。(アルコールが入り、詳細を覚えていません。)清水さんの幅広いレパートリーを心から楽しんだ。  清水さんの歌も良かったが、砂本さんのピアノにも大いに感心させられた。前半のクラシック曲に上手に合わせていたが、後半は、ジャズっぽくなってアドリブソロが入り、本領が発揮されてきた。もはや伴奏ピアノでなく、対等にわたり合う二人の演奏者だ。「赤とんぼ」の歌の合間のピアノソロで「ふるさと」が引用されたりもあった。(逆だったか?)ジャズも時々聴くCes-durだが、才気があふれ、本来のジャズピアニストとして大変上手い人と思った。自分が知らないだけで、世の中にはすごい才能の人がいる。  クラシックの演奏会の正統的なあり方(そういうものがあれば、の話だが)からすると、あるいはくだけ過ぎということになるのかもしれない。が、本来リラックスして楽しむ種類の歌を、正統派演奏会でかしこまって聴いている、ということもあるかも。清水さんは、コンサートホールに限らず、こうした小会場でのソロ活動を積極的に行っている。そうやって自分の歌の表現に適した演奏の場を開拓し、また歌の幅を広げているということだろう。そのすがすがしい姿勢! 応援したい。