オルフのカルミナ・ブラーナ 2015年9月

 今年、合唱で練習している曲の一つがカール・オルフ「カルミナ・ブラーナ」だ。いくつもの合唱団が合同し、約400人という大人数での演奏会になる。練習も合同で行い、交流ができて楽しいし、高い技量の人が隣になると刺激を受け、本当に参考になってありがたい。  カルミナ・ブラーナは初めて歌う。これまでレコード、CDを持たずに来て、聴く立場としても馴染んではいない。ストラヴィンスキーの「火の鳥」「春の祭典」などもそうだが、バーバリズムの音楽については、どうも騒々しいと敬遠してきた。自宅のオーディオで聴く場合、ある程度の音量で再生してはじめて真価を発揮する音楽だろうけれど、近所迷惑になってしまう。  娘が学生時代に大学の合唱団で歌い、聞きに行ったことがあった。面白い曲とは思ったが、やはり好みとしてはどうも・・・。  合唱で今回歌うことになり、遅ればせながらCDを購入した。小澤征爾指揮、ベルリンフィル、晋友会合唱団の1988年の演奏。関屋 晋氏傘下の合唱団が集合した晋友会合唱団が世界デビューした、日本の合唱史上の記念碑的な演奏である。ベルリンで高い評価を得、小澤も絶賛した合唱だ。今回、近所迷惑にならないようヘッドフォンで聴いているが、確かによく揃っていて素晴らしく上手い。  この曲は、単純な旋律・ハーモニーを反復し、リズムを変化させて躍動する、原始的というかスポーツ的というか、生命力を感じさせる曲だ。この曲は、もともとがダンスを伴い、視覚と聴覚で感じる舞台芸術の曲で、耳で聴くだけの音楽ではないという。CDで聴くだけ、合唱を歌うだけでは少々つまらなく感じるが、なるほど、ダンスも加わるなら、繰り返されるメロディーやリズムも生きるだろう。それなら腑に落ちる。  これまで歌ってきた、複雑な旋律、美しいハーモニーで構成される宗教曲とは、作曲のコンセプトが違うのだ。何か深遠な世界が奥に隠れているわけではない。合唱としては、リズムに乗ることを楽しみ、余計なことを何も考えずに歌う曲だ。「余分な理性を捨てて歌いなさい」という指導もあった。そういうコンセプトであり、それで良いのだ。  曲の歌詞は、19世紀初めにバイエルン州の修道院で発見された詩歌で、13世紀頃に修道僧や学生たちにより書かれたものと推測されている。修道院という背景のわりには歌詞内容に宗教色がなく、人生、世相、恋愛、酒、賭け事などを風刺的に書いたもので、全くもって世俗的だ。道徳的、禁欲的な修道院の生活への反発か。文学的に洗練された質の高い詩歌ということではなく、日本の中世の落首、戯れ歌のような性質のものだ。修道院の図書室で発見されたというが、こうした内容のものがよく保管されていたものだ。  逞しい生命力に満ちているが、全体を通すと虚無主義や享楽主義のような退廃的な印象も漂う。それゆえに現代に通じる新しさも感じられるわけで、その点どういうことなのか疑問だった。  発見された大昔の詩歌という設定でオルフが詞を創作したものか、とも疑ったが、原文は実際に昔のものらしい。ただ、300以上の詩歌から、オルフが部分部分を取捨選択して、20ほどの歌詞に再構成したということだ。これによって、作曲者オルフの現代人の意識が反映されている、ということなのだろう。  この曲については、もう一つ疑問がある。作曲者カール・オルフは、1895年にミュンヘンで生まれ、1982年に同地で没した人だ。この曲の初演は、ナチスドイツ時代の1937年、ドイツ国内でだ。この曲とその時代! ナチスドイツらしからぬハメを外した音楽であり、どうも違和感がある。オルフもまた、時代の中で生きなくてはならなかった一人だったろうに。  ナチス推奨のドイツの伝統的音楽文化の延長上の曲、ではない。旋律は、当時の先端的な十二音音楽でなく、調性を守っていてわかりやすい。だが、リズムは裏拍を多用したジャズっぽい箇所があり、歌詞とともに、ナチスの文化官僚に退廃音楽と批判されそうな曲と思える。当時はさほど有名でなかったオルフの、さほど話題にならなかった曲で、注目されずに済んだのだろうか。ひそかに時代を風刺したオルフの抵抗の曲、というほどのことでもなさそうだ。どうもよくわからない。  合唱を歌う側に戻ると、歌って難しいのは歌詞だ。ミサ曲のような決まり文句でなく、全く馴染みのない単語のラテン語、一部ドイツ語古文の羅列だ。急速テンポ、リズムの曲では早口言葉のようになり、大変難しい。何度も繰り返して口に慣らすほかないのだが、練習してもまるで慣れず、空しくて面白くないのだ。1,2小節の短い単位で3回ずつ繰り返す練習が効果あることを見つけて、これを1週間毎日続け、ようやく前に進むことができた。早口言葉の音読、滑舌の訓練で、認知症予防になるだろうか。  音に乗りにくい歌詞の言葉とともに、リズムに乗った演奏がアーティキュレーション記号、強弱記号、速度記号で細かく指示されていて、声を上手くコントロールすることが求められている。全くスポーツのようだ。今回は400人という大勢の合唱だが、一人一人がちゃんと歌えて揃えられるように練習するほかない。どこまでできるか。  CDの晋友会合唱団は、どんな急速の箇所も確信を持って正確に歌っていると聴こえる。徹底した練習で乗り越えたのだろう。  今回一緒に歌う中に、ご夫婦でこのCDの晋友会合唱団の演奏に参加された方がおられる。何と合唱は暗譜で歌ったということである。なるほど、そこまで徹底した練習であの演奏に到達したのだ。  私は、歌う喜びがいまひとつの曲だなどと思ったりもしてしまうのだが、そんな感想を持つのもまだまだ中途半端な水準だからなのだろう。