高校時代と現在をつなぐ二つの演奏会 2015年8月

 8月に入った暑い日、高校時代の友、M君に誘われ、二人がOBである高校音楽部の合唱演奏会に埼玉県熊谷市に出かけた。またその日夕方、ギタリストである高校同級生の演奏会が隣の行田市で開かれ、続けてM君とともに参加した。  「第50回熊谷高校・熊谷女子高校音楽部合同定期演奏会」と、「長谷川 弦 ギターコンサート2015」だ。  まず、高校生の合唱演奏会。籠原駅近くに出来た「熊谷文化創造館 さくらめいと」が会場だ。暑さで名高い熊谷、この日は37.3度だったが、ロビーは側面がガラス張りで、開場前の暑さは尋常でなかった。  OBというが、M君と私が高校を卒業してから実に44年が経過している。この男子高と女子高の音楽部(という名だが実質、合唱部だ)が合同で開催するという珍しい形の演奏会も今回で50回になるという。合同演奏会はわれわれの入学の2年前から始まり、われらは第3回、4回、5回に出たのだ、とM君の記憶は冴えている。私はというと、女子高の音楽室に行って練習したことは覚えているのだが、演奏会が合同だったかの記憶はまことにぼんやりで、そうであったような、無かったような。何かの事情で3年生の途中で音楽部を辞めた覚えがあり、自分は第5回には出たのかどうか。いやはや。  演奏会は、女子高の女声合唱、男子高の男声合唱、両校の混声合唱という三部構成であった。細かい難点はあるものの、予想をはるかに超える高水準の演奏だった。混声の「光る砂漠」(矢澤 宰作曲、萩原英彦作詞)は、音取りしにくそうな難曲だったが、よく練習していると感じられた。全体に、エネルギーある若々しい声で、真っ直ぐ音楽に向かっていて気持ちが良い。  部員数も男子高約40名、女子高約60名と多く、やる気が揃っている印象だった。両校とも埼玉県の合唱コンクールでは指折りの実績を続けているのだ。  思えばわれわれの時代は部員も少なく、低い水準の合唱だった。無伴奏の曲が多いこともあって、音程が上下にずれて、ハーモニーからほど遠かったのだ。当時の女子高の技量に比べて数段下で、ひけ目を感じていたのを思い出した。今、後輩たちが良い合唱をしてくれているのは、何ともうれしい。  水準向上は別として、45年前に自分達がやっていた演奏会を、現在の高校生達が同じようにしているのが、何とも不思議な感覚がした。女子高にいたっては、制服も校章バッジもまるで変わっていないので思わず笑ってしまう。一瞬、45年の隔たりが消えて無くなったような気持ちになった。  私は、この高校音楽部の後は、大学でも社会人になっても合唱とは無縁だった。つい4年前に合唱団に入って合唱に再会した。合唱に関しては長い空白期間だったのたが、その空白期間が消えて直結し、自分が大学に入って合唱を続けているすぐ上の先輩のような気がしてしまうのかもしれない。高校生達からは、焼きが回っていい気なものだ、と言われそうだ。まあ、そうだね。  当時顧問だった荒井敬正先生の作曲した曲の演奏もあり、会場で同学年の何人かにも出会って、過去の自分に再会するような演奏会だった。  次は、同級生のギタリスト長谷川 弦の演奏会だ。長谷川 弦君は、高校時代既にギターが上手く、「弦」というぴったりの名前とともに印象にあった人だ。今年春のミニ同窓会で、彼がそのギターの演奏家になって、オーストリアに住みヨーロッパで活躍していると聞いた。毎夏には帰省するので、地元行田市の同級生たちが実行委員になってリサイタルを開いているというのだ。  行田の「足袋蔵ギャラリー 門」という、土蔵の建物の中で演奏会があった。  良い演奏だった。佐藤弘和の小品数曲、ヨハン・シュトラウス2世のワルツ・ポルカを長谷川が編曲した数曲。まず思ったのは、良いリズムで弾かれているということだ。シュトラウスではそのことは特に難しそうなのに、良くやっていると感じた。その良いリズムがベースにあって、音楽が湧き上がってくるようで、聴いていて引き込まれる。素晴らしい演奏で、面白かった。  44年ぶりの高校同級生だが、当時から今に至るまでずっとギターに取り組み、渡欧して勉強し、一人の演奏家になってキャリアを重ねている。自分のような趣味の音楽とは違う世界だ。凄いことと思う。  それとともに、高校時代に弾いてくれた光景が思い出され、目の前で演奏している今の姿と高校生長谷川 弦君が二重になった。  二つの演奏会、というか出来事で、大昔の高校時代と現在が急速につながり、ふと現実感が薄くなるような、暑い夏の一日だった。