2018年3月18日PMS合唱団演奏会のハイドン2曲 2017年11月

 PMS合唱団の次の演奏会は、ハイドン(1732~1809)の2曲、「天地創造」と「テ・デウム」だ。私にとって、初めて歌うハイドン合唱曲である。 ■「天地創造」Hob.XXI:2(1796~1798作曲)  「天地創造」は、ハイドン晩年の傑作オラトリオと言われるが、私は、これまでレコード・CDでも、演奏会でも聞いておらず、全く馴染みが無い曲だ。  H.リリングとN.アーノンクールの指揮、二組の演奏CDを入手し、楽譜の音取り練習を始めたが、これがどうも面白くない。ヘボ合唱団員が生意気な言いぐさだが、ピンと来ないのだ。  ハイドンの曲は、これまでもっぱら聞く立場だったが、弦楽四重奏曲のジャンルなど好きな曲が多い。気品ある美しい旋律が流れ、聴く側の心に迫って波立たせるようなことにはならない。ベートーヴェンやシューベルトとはまた別の、良い音楽だ。音楽それ自体の美しさを追及し、とても上質な水準に到達させたのがハイドンなのだと思う。  例えば、有名な曲では弦楽四重奏曲「皇帝」の第2楽章。ドイツ国歌にもなっているが、威張ったり大げさだったりが全くなく、シンプルながら堂々とした品格でまことに良い旋律と思う。ベートーヴェンやシューベルトの弦楽四重奏を聴くにはエネルギーが要るが、良質なBGMとして聞き流すことができる音楽である。心を波立たせない、聞き流せるというのは、決してけなしているのではない。  自己を表現することこそが芸術の本質だ、という考えの人は、きれいなばかりで中身が薄い音楽と言うかもしれない。しかし、当時の作曲の意識はどうだったのだろう。宮廷に雇用され、気晴らし、娯楽としての音楽を提供する立場であり、音楽に作曲者個人の心の内を直接的に反映するなど、はしたないことだったのかもしれない。ハイドンは、自分の思いのたけを表現するベートーヴェン以前の人であり、そうした時代だったのだ。  そんなハイドンだが、「天地創造」は宮廷内で作られた曲ではない。ヘンデルの「メサイア」に触発されての作曲というが、自主的な作曲で、劇場で公演され、楽譜も出版された作品である。既に当代一の作曲家として名をなしていたハイドンであり、公開初演は大成功をおさめたようだ。  この曲は、晩年のハイドンの力量が結実した傑作、という評価になっている。しかし、ヘボ合唱団員には、何やら軽い曲でハイドン的な良質さを発揮していない、と思えてならない。  同じオラトリオ、オラトリオ類似の曲で、ヘンデルの「メサイア」、バッハの「ヨハネ受難曲」をこれまでに歌ったことがあり、これらと比較してみる。  バッハもヘンデルも、新約聖書のイエスの生涯や活動を描いている。イエスと周囲の人間たち、キリスト教信仰の本源の題材で重みがある。「天地創造」は旧約聖書の天地が作られる過程、アダムとイブの登場という題材で、神話的な世界だ。この題材の違いで、まずハイドンは損をしているように思う。  バッハは、題材に深刻に向き合い、登場人物を深く掘り下げて、ロマン派を先取りするように、切実な感情や信仰を表現している。ヘンデルも、キリストへの賛美だけでなく、民衆の悪罵、迷える人間の愚かさなど、いささか漫画的な大げさな描写だが、弱い人間界の模様を表現している。  それに比べ、ハイドンは旧約聖書を題材にした歌詞なので、そもそも人間味のある登場人物がない。創造主である神への賛美一色になってしまう。われわれ人間の弱さ、といった等身大のネガティブな要素が入らず、天真爛漫、ポジティブなばかりだ。このため、共感を持つことができず、奥行き無く単調に感じてしまうのだ。  ヘンデルの「メサイア」に刺激を受けたというが、作曲者として何に触発されたのだろうか。素人の仮説だが、私は「メサイア」の自由闊達さだったのではないかと思うのだ。「メサイア」はオラトリオの形式をとって登場人物の感情、思いを豊かに音楽で表現している。楽譜を見ても、小節区切りに縛られない自由なフレーズのようなところがある。それが合唱として歌いにくく難しいのだが。  ソナタ形式を確立したハイドンからすると、これは自分にない型破りと聞こえたのではないか。同じオラトリオの形を借りることで、型にはまった枠組みを超え、豊かに感情を表現するということを試みたのではないか。いわば実験的作曲。しかし、おとなしい題材を選び、感情表現もほどほどで抑制する良識が働いて、ハイドン流のオラトリオになったのではないか。  そんなことを考えてしまうのだ。  歌う立場からすると、合唱曲として技術的には比較的容易な曲で、歌いやすいと言える。各パートの音がぶつかる難しい和音は少ないし、バッハのようなフーガを多用するポリフォニーでもない。四声が揃ってシンプルな旋律、和音を歌うことが多い。  先生からは、単純な構造だからこそ、連続する協和音を一つひとつ揃えることが大事だ、と指導がある。合唱として一見簡単と思えるが、アンサンブルの質が露わになる難しさがあるのだ。 ■「テ・デウム」Hob.XXIIIc:2(1798~1800年作曲)  「テ・デウム」は、キリスト教音楽の古典的な枠組みに沿った曲である。「天地創造」に比べると、定まった型におさまっている分、安心して宗教曲らしさに浸って歌うことができる。  フーガ形式は、あっても複雑でなく、長く続かない。旋律がシンプルで気品あって、ハイドンらしい。短いが良い曲である。  こちらもまた、アンサンブルの質が問われる曲だ。  「天地創造」は、練習を重ねて合唱の水準が上がった時に、また新たな見え方が生じるのかもしれない。天真爛漫なこの曲を、まずはわれわれ自身が楽しんで歌うことなのだろう。面白くない、ピンと来ない、というヘボ合唱団員の浅はかな考えは横に置いて、もっと先の地点まで歩を進めなくてはいけないのだろう。